「感想文展」2003年8月31日「ぶん名古屋」
 戦争展の写真を拝見するとこれは紛れもなく、シンガポール陥落の際の
物と感じました。 というのは、現地人の着物がロンジといいまして、マレー系、
ミャンマー(ビルマ)系の男子に特徴あるものだからと、郵便を読んでいる兵隊の
写真がありましたが、これは、今のFullerton Hotel 旧シンガポール郵便局の
本館の建物によく似ていることから伺われます。 また、上陸作戦の写真が
ありますが、椰子の木があるマングローブの辺りの風景が見受けられることから
そう確信いたしました。
小生は定年前にシンガポールに現地法人をこさえ、六年近くそこの責任者をして
いましたし、昨年戦争跡に滞在中は余り関心がなかったので、あちこち観て回った
きたことがあるからです。
1942.2月ですが、その時には捕虜の写真のCommentsでSingaporeかPhilippinesかと
ありましたが戦闘せずに陥落とおっしゃいますが、そうではありません。
英国は必死になって戦ったのです。ただ、このときの状況としては、あくまで想定
ですが、海側から攻めてくるべく準備したのが大砲の設置の状況から判断したことで
まさか背後の今のマレーシアから行軍して攻めてこようとは思わなかったこと、前線に
インド人の戦力を多用したことが戦意向上に繋がらなかったことなど等考えられて
おります。 まあ何れにせよ、1942年の1-2月頃の写真と思われますので、その旨
ご留意いただければと思います。
--------------------------------------------------------------------
またまた先ほどの戦争の話になりますが、 日本人の南京での虐殺といい、
Singaporeでの中国人の迫害といい、信じられないことが実際に
行われたこと自明のことです。 先日、Changi Airportの近くに昔の
刑務所の跡があり、そこは今開放されておりますが、信じられない
光景に唖然といたした子t後でした。 今でも遺族の方々が花をたむけ
日本人の残虐性を語っているのを耳にして、情けなくなった気持ちは
忘れられません。 今、競馬場がある近くにこの戦争で亡くなった人びと
の墓があります。 Kranji War Memorialといいますが、そこにも矢張り
18-19歳で徴兵にとられて、この地で亡くなった若者の親族の捧げた
花がつい先ほどかと思えるくらいな新鮮さで活けられているのをみて、
感慨無量でした。 Orchard Rdで買い物をするのも結構ですが、矢張り
こうした戦地を巡って或る反省の気持ちを常に持ち続けることも必要では
ないでしょうか? つい、愚痴っぽくなりますが、年寄りの愚痴を思って
聞き流してください。

ホーム