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「感想文展」より 2001年8月30日「オールド予科練」 ハワイ空襲(当時の正式名は ハワイ海戦)のものです。 空母{赤城 }第一航空戦隊旗艦飛行甲板より発艦中のひとコマです。 一番手前はゼロ戦です(21型)発艦時は軽い飛行機より出ますので、 制空戦闘機は最初です、垂直尾翼の識別文字が不鮮明のため、残念ながら 何中隊、何番機、が不明のため搭乗者が割り出しません。 後方は九九式艦上爆撃機(急降下爆撃機)群です。飛行甲板サイドで 見送り中の黒い服(冬服は黒色で第一種軍装、夏服は白で第二種軍装)の人は 士官です。この冬服と、白波の様子から12月8日を見て取れます。 先頭の機に取り付いているのは整備員です(着用のものは事業服で通年白) ゼロ戦の脚部の車止め(チョーク)に取り付いて、発艦指揮官の指示を 注視し発艦合図を今や遅しと待っているさまがよく伺えます。 艦は風上に向かって第一戦速で走り艦首より甲板に蒸気を噴出して 艦の中央に流し風上に正向させ30ノット以上で突っ走っている様子が 覗えます。 「感想文展」より 2003年8月117日「夜桜」☆ 写真展の(爆撃機ー1)空母「赤城」? 戦争写真展拝見させて頂きました。 戦争の記録写真はよく見るのですが、はじめて見る写真がかな りありましたので、興味深く拝見させて頂きました。 私くしの二人の叔父も戦地へ行っており、父方の叔父はフィ リピンのルソン島の山中を米軍やゲリラに追われて逃げ回った そうで、母方の叔父はジャワ島駐屯の高射砲部隊でいたって平 和だったそうです。幸い二人とも無事帰ってこれましたが、特 に父方の叔父の話を聞くと深く考えさせられるものがあります。 さて、写真展の(爆撃機ー1)がハワイ空襲時の第一次攻撃 隊空母「赤城」とありましたが、先頭の零戦の胴体の白帯一本 が確認でき、方向舵のEの文字がかすかに読み取れますので、 この零戦は、「翔鶴戦闘機隊」と言う事になり、しかも飛行甲 板の三本の白線と右端に白い点線が確認できますが、これも翔 鶴飛行甲板である事を意味します。そして完全に夜が明けてい ますので、第一次ではなく第二次攻撃隊発艦時と思われます。 第二次には翔鶴戦闘機隊は参加しておりませんので、この写真 の零戦は機動部隊の上空直衛隊だと推測されます。 もう一つ(爆撃機ー6)もハワイ空襲時の「赤城」となって おりますが、「赤城」の艦橋は進行方向に向かって左側にあり ますので「赤城」でない事だけは確かです。艦橋が右側にある のは、「加賀」「蒼竜」「翔鶴」「瑞鶴」で艦橋の後ろの鉄塔 の形からこれも「翔鶴」及び「瑞鶴」ではないかと推測します。 私くしの持っている資料ではここまでしか分かりませんが、 ご参考めでにどうぞ・・・。 何か重箱の隅を突っつく様なメールを差し上げて申し訳御座 いません。 |